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◇ コラム 小倉茂徳セナコラムVol.10 追加 (2014.12.26)
アイルトン・セナ 追憶の英雄 発売 (2014.12.26)

Getty Images

アイルトン アンフォゲッタブル

by Umberto Zapelloni ウンベルト・ザペローニ

追憶の英雄

彼の名はアイルトン。F1パイロットだった。

そして誰よりも素晴らしかった。

セナが去ってから20年が過ぎていった。

1994年5月1日。ファンのみではなく、世界中の人に悲劇の日曜日として記憶されている。

サーキットでの事故死。セナがトラックで亡くなる24時間前には

オーストリア人、ロラント・ラッツェンバーガーが非業の死を遂げていた。

 

この週末は異常だった。

バリチェロはラストシケインで宙を舞う、凄まじいクラッシュに見舞われていた。

そして次がラッツェンバーガーだった。

サンマリノ・グランプリの決勝。

スタートではストールしたレートにラミーが追突、破片は観客まで飛び散った(11名がケガ)。

セナの死がその後だった。

さらにアルボレートのミナルディはタイヤが外れ、数名のメカニックをなぎ倒した。

恐怖の連鎖は続いた。

「グリッド上で私の隣に神がいた」。

アイルトン・セナはコース上で神を見た初めてのドライバーだった。

彼の3度の世界タイトルのうち、初となった1988年の日本GPで、セナはシャンパンと涙の後、神がゴールを助けてくれたと語った。セナはそういう男だった。

高速の走り、神秘的な追い越し、予選と決勝で見せる正確さ、オープンにしないと決めた時の頑迷さ、唯一無二、興奮、

魔法、魅力、複雑、才能・・・ 記録よりも前に、彼は魂のレーサーだった。

誰も彼より速いラップタイムを出せなかった、特に雨の中では。もし、1994年5月1日にイモラで彼のレースが永久に

終わらなかったとすれば、世界タイトル3回の記録は倍増していただろう。

ガールフレンドと手をつないでピットに現れた時でも、彼の瞳が幸せに輝くことは遂になかった。

有名なモデルで女優のキャロル・アルト、ブラジルのテレビスターだったシューシャ、最後の恋人となったアドリアーナ。

彼の瞳の奥にはいつも哀愁があった。

セナがイタリア語、英語、あるいはポルトガル語で話し出すと、皆の注目を集めた。ジャーナリストにとって彼の発言を聞き逃すことは、ニュースにとてつもない大穴を開けることだった。アイルトンに関するニュースが取るに足らないことなどなかった。

10回の発言のうち9回は見出しとなった。

彼がいつもブリーフケースに入れていた聖書や神について話さなかったとしても、いつも彼は話題の的だった。

アイルトン·セナ(ブラジル)は1983年7月19日、イギリスのドニントンパークで行われたウィリアムズFW08Cのテストで初めてF1マシンに乗った。

Olycom

Corbis

信頼し、テーブルを共にすることを許した相手になら、アイルトンは何でも話した。彼の人生であり喜びであるレースについて、トレーニングを含めた準備の全て、彼のプライベートの楽園、アングラ・ドス・レイスへの秘密旅行、恋について、魂を満たす信仰、彼にはなくてはならないものである友情、心安らげる家族、レースのために名前をもらった母のこと、父がよくヨーロッパへ付いきて、多額の賞金を投資に回していること、好きなジョーク、ベルガーにからかわれたジョーク、自分を悩ませるピケ、プロスト、そしてバレストルへの

反感など。けれども彼らを嫌ってはいけないのだ。

なぜなら、彼の好んだ聖書は憎むなかれと言っているのだから。

セナはコース上では他の誰とも違うレーサーだった。コースの外でも、皆がスポンサーロゴの入ったレーシングスーツを

着ている場所に、スポンサーのスウェットとジーンズで現れるような男だった。毎回、広報担当者を通す必要も、彼と

アポイントを取る必要もなかった。シーズン毎に1、2回、二言三言話せば十分だった。日時と場所、それだけ決まれば、

どんな質問にも答えてくれた。まるで答えを丸で囲むように。

彼は外交官にもなれただろう。しかし、時には辛辣にもなれた。わかりやすい男ではなかったが、彼が感じたこと、

いつ何を思ったかをシンプルな言葉で、世界に向けて語ることができた。

「復讐じゃない、正義だった」―――

1991年に"鈴鹿でプロストのフェラーリをコース外に弾き出したのは故意であった"と認めた時のように。

アイルトン·セナはロータス97Tルノーをドライブ。

Studio Colombo

Omega

売上げの一部は
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